イエスと弟子たちの願い
今日のヨハネ福音ではイエス様と十二人の弟子たちが登場しております。十二人の弟子の中で、特に先に扱われている弟子はイスカリオテのユダです。昨日の福音ではユダが祭司長たちの所へ行って、「あの男をあなたたちに引き渡せば、いくらくれますか」と尋ねながら、「銀貨三十枚」で師であり、主であり、友であるイエス様を裏切ろうと決心しました。ですが、今日の福音ではイエス様がユダのような裏切り者でも「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」と言われました。イエス様が裏切り者ユダに対して持っている考えはユダのものとは違います。「この上なく愛し抜かれた」と言われております。
つぎの登場人物は、なかなか空気を読まないペトロです。何度も何度も繰り返して、イエス様がご自分の受難について説明なさったのに「わたしの足など、決して洗わないでください」と、どんな気持ちでイエス様がペトロの足を洗ってあげたかったのか、全く理解していないようです。
ユダとペトロ二人とも、イエス様の心を先に考えなかったのです。御受難に向かっているイエス様の気持ちより自分自身の気持ちを先に考えているようです。弟子たちを「この上なく愛し抜かれた」イエス様はもうすぐ父のもとへ移らなければならない、その理由で悲しい、痛い、悩み、苦しんでいる。それなのに弟子たちは誰もそれに気づかず、とんでもない話ばかりしている。まるで世の中の私たちの毎日の言動や姿勢などを見るようです。つまり兄弟姉妹を愛さなかったので心が痛くない、世の中で正義を行われなかったので苦しまない、戦争やテロなどを止めなかったので悩まない、地球という神様の家を守らなかったので悲しくない、だからこそイエス様に面目がないのです。
主であり、先生であるイエス様がまるで奴隷と召使のように私たちの足を洗ってくださいました。続けてイエス様は「あなたがたにしたとおりに、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と頼まれたのです。何故イエス様が「十字架の道」を歩まれたかについてこの聖週間を通して考えてみましょう。イエス様が聞かせてくださる話に耳を傾け、御心を深く理解してみましょう。それができるように神様にお願いいたしましょう。