潜伏キリシタン時代、キリストの体と血
最近「潜伏キリシタン」という用語と「カクレキリシタン」という用語について疑問があって調べてみました。普通はこれら二つは同じ意味、すなわち1614年の徳川幕府の「キリスト禁教令」によって信仰生活が不可能になり、その結果、公ではなく心の中での信仰生活をするキリスト信者に名づけられた用語です。ですが、ユネスコの世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を登録するためには二つの用語を正確に表現する必要性ができて、明治以後のキリシタン迫害が終わった時、信仰を公表するか否かをめぐってカトリックに復帰しない人々に「カクレキリシタン」と名付けるようになりました。一言で言うと「潜伏キリシタンの子孫」を表現する用語です。彼らは自分のことを「昔キリシタン」と表現しています。
「二十六聖人記念館」は「潜伏キリシタン」がどうやって教会も司祭もなく信仰生活を守ることができたかの資料が展示されています。皆さんがご存じのようにキリシタンたちは幕府の迫害を避けて五島をはじめ、島々や山々などに身を隠しました。潜伏キリシタンは神父様の役割を分けて背負い始めました。例えば、「水方」と言われる信者は「洗礼を授ける役割」を担当し、「帳方」は「教会の典礼歴」に従って記念日などを守るようにする。また「ききやく」は共同体のお知らせを信者たちに伝える役割を担当しました。
このように「潜伏キリシタン」の役割を担当した人々とその子孫たちは潜伏期のうちに信仰を伝えながらパンとぶどう酒の代わりに「ご飯と酒」を捧げ、「感謝の祭儀」、すなわちごミサを行いました。潜伏キリシタンの祭儀の映像を見ると昔のラテン語の祈りが「オラショ」という名前で唱えられています。宣教師たちから伝えられたラテン語の祈りが口から口に伝えられ、発音も形もおおく変化があったのですが、祭壇の前で素直にひざまずいて、ごはんと酒を捧げながらオラショを唱える映像を見ると、「潜伏キリシタン」が放棄しなかった信仰、子孫たちに信仰の遺産を頑張って伝えた努力などが分かるような気がします。
今日の福音朗読ではイエス様が愛する弟子たちのために晩餐を先に用意しておいたのが分かります。「みずがめを運んでいる男の主人に」「席が整って用意のできた二階の広間」で過越しの食事を弟子たちと一緒に食べるように要請しておきました。それで愛する弟子たちがイエス様の「受難と死と復活」を忘れないように「パンとぶどう酒」を食べさせ、飲ませ、イエス様と一緒に過ごした瞬間を覚えるようにしました。このように私たちが毎日イエス様を忘れず、記念すると、そのパンとぶどう酒がイエス様、ご自身の「体と血」になって、私たちを霊的にも肉体的にも生かせてくれると約束しました。
イエス様とともに「神の国で新たなぶどう酒を飲む日」を望みながら、260年もの厳しい迫害の中でも信仰を守ってきた「潜伏キリシタン」の夢のように、私たちもイエス様と顔を見合わせて晩餐を楽しみにできることを信じます。そうすることができるように今日もイエス様のご聖体とおん血を喜んでいただきましょう。