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어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기

祈りや断食の仕方 본문

매일의 양식

祈りや断食の仕方

해피제제 2021. 4. 30. 16:36

 

昨日の朝まで年の黙想に行って来ました。「行って来ました」と言ってもコロナのせいで東京や広島の黙想の家などではなく昨年閉鎖したばかりの立山黙想の家で一人で黙想をしました。イエズス会の修道士は必ず年に一回、八日間の黙想に入ります。自分が働いている職場や修道院などから離れて神様との親しみを深く味わうための黙想です。

 

年の黙想のときは、毎日、一時間の祈りを四回ずつ捧げながら断食などもします。私も今回は何となく断食をしたかったのですが、完全に守るのは無理だと思って、一日に一食ぐらい食べようと決めました。今日の福音朗読のイエス様のように四十日間の断食は本当に無理です。なぜなら、八日間の黙想の中で初めの三日、四日ぐらいは毎日「今日の昼ご飯は何を作って食べればよいか」という計画ばかり立てていました。

 

また誰も見ている人がいないのであまり洗髪をしなかったりひげも剃らないでそのまま生活しました。韓国の言い方では「猫の顔洗い」と言いますが、「顔洗いの真似をしただけ」という意味です。それなのに皆さんもご存じだと思いますが、今週の「灰の水曜日」の福音朗読ではイエス様が「祈りや断食の仕方」について説明をなさいました。「偽善者のように沈んだ顔つきや顔を見苦しくしてはいけない」、「頭に油をつけ、顔を洗いなさい」と。

 

また、イエス様が望んでいる「断食とは何か」を、昨日(19)の朗読を通して教えてくださいました。「私の選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。」

 

黙想すると、このように神様は私たちの祈りにお声を聞かせてくださいます。普通の忙しいときの祈りではなかなか夢中になることができなく、神様との親しみも感じることが難しいのです。だからこそ、私たちはこの四旬節に当たって様々な黙想に参加しております。「祈りや断食仕方」の教えだけではなく、どうしても人間になりたくて、マリアとヨセフから母と父の惜しみない愛を受け、心通じる友達もいっぱい作ってこの世から離れたくないのですが、それらを後にして十字架を背負るイエス様の心を深く黙想することができます。

 

「愛がなければ十字架はただの刑具に過ぎない、愛がなければ人生は苦海だ」と言われています。私たちが人生の十字架の道を歩けるのは、大切な家族や子供たちが神の国であるこの世で生きることができると信じているからです。たからこそ、この世の苦海もどうどう歩むことができるのです。私たちより先に歩んだイエス様を従って、愛であり、希望の道である十字架の道を歩き始めましょう。その道を通ってイエス様の強い私たちへの愛を感じてみましょう。それができるように心を込めて神様にお願いいたしましょう。