어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
私の時、神様の時間 본문
私は時々こう言います。「神様は私のすべての願いを聞いてくださった」と。
確かにそうです。「長い目で見ると」何一つ私が願ったことがかなわなかったことはありません。ですが、その望みをかなえていただくためには二つ条件があります。一つは先ほど言いましたが、「長い目で見る」こと、またもう一つは、神様は「私の計画ではなく、神様の御計画に従って」私の望みをかなえてくださることです。
私は子供の時から「歴史の物語り」が大好きで大学は歴史学部に入りたかったのです。ですが、家庭の事情で「歴史勉強」の代わりに経営学部に入って銀行で働くようになりました。長い間その夢がかなうことができませんでしだが、四十代、神父になって、やっと「教会歴史」を勉強し、ご存じのように今は歴史関係の仕事を楽しんでいます。
また、イエズス会に入って私は宣教師になりたかったのですが、私の上司である韓国の管区長は「日本での留学が終わったら帰りなさい」と言われて少し残念な気持ちでした。ですが、私が韓国に帰るときの年に新しい管区長が選出されてその方は東北アジア、日中韓の交流(こうりゅう)が必要だと思って、以前から日本での宣教師になりたかった私に「日本に行きなさい」と派遣してくださいました。「宣教師になりたい」という夢を見てから十年弱かかりました。
もう一度言いますが、神様が私たちの夢をかなえられるためには私たちの計画ではなく「神様の計画」どおりになさり、また「今すぐ」ではなく「神様が望むときに」かなえてくださるのです。だから私たちは寛大な心で神様が私たちの願いをかなえてくださる時まで願い続けなければなりません。そうすれば、かなえてくださらないことはなに一つもありません。かなえてくださる時まで一生懸命に祈りをするからです。
今日の福音朗読でイエス様が言われました。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。…わたしにつながっているならば、望むものを何でもかなえられる」と。「いつか、どのように」かは私の計画通りではないかもしれません。ですが、イエス様は約束しておられます。かならず「かなえられる」と。イエス様につながっている私たちはその約束を信頼すべきです。だからこそ弱い私たちがいつもイエス様を信じ、永遠につながっていることができるように神様の恵みをお願いいたしましょう。
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