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어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기

「慰めよ、慰めよ…」 본문

매일의 양식

「慰めよ、慰めよ…」

해피제제 2022. 4. 15. 15:47

 

フランシスコ教皇様が一番好きな聖書の箇所はイザヤ40章一節だと言われました。慰めよ、慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。」神の民は私たちに慰めてくださいと願っています。我々はイエス・キリストを探し出して、彼の愛を伝え、傷を負った人を慰めること。その傷をいやすのが私たちの役割です。」と私たちに強く話しました。

 

また「慰め」について説明を加えて、「慰め、慰めとはいかなる方法でも神様の現存を表すことです。慰めはそれを受ける人にはすごくいいものです。ですが、慰めを与えることは決して容易ではありません。」と言われながら、今日の福音の洗礼者ヨハネのような役割を私たちにも頼みました。「主の道を備え、その道筋をまっすぐにせよ」と。すなわち私たち自身が「神の現存」をこの世に表わすこと、「神の慰め」を世に伝えることです。

 

最後に教皇様はこう言われました。「神様は待たれる方です。いつもゆるしてくださいます。いつも我慢してくださいます。いつも慰めてくださいます」。だからこそ私たちは許す信者になり、人々を慰めて与えるべきです。長年の信仰生活をふりかざす信者にではなく、一人ひとりが神の民を慰める司牧者となることです。それが人になられた神、その方を待ち望んでいる私たち信者の役割ではないかと思います。何故イエス様が世に来られたかを真剣に考えながら、私たちが頂いたいことがなにか、またそれを私も周りの人に伝えられる夢を抱きながら待降節を過ごしてみましょう。それができるように神様からのお恵みとご勇気をお願いいたしましょう。

 

今日の福音の箇所ではイエス様の弟子たちが福音宣教から戻ってきて、自分たちが行ったことや教えたことをイエス様に報告している場面です。イエス様は食事をする暇もなかった彼らに「しばらく休むがよい」と優しく迎えてくださいました。ですが、イエス様自分自身は「飼い主のいない羊のような大勢の群衆を見て、深く憐れみ」を感じ、自分の休みを取らず、目の前にいる群衆に慰めを与えるしか方法がなかったのです。「慰めよ、慰めよ、私の民を慰めよと」。私たちもイエス様に似てお互いに「慰めましょう」。そのような私たちの姿を見るイエス様はきっと「慰められるでしょう」。それができるように、今日もお互いに深く憐れみ、慰めましょう。