어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
何を恐れているのか? 본문
今年の初めごろから中国をはじめ全世界の国々まで新型コロナウイルスが広がっています。今までエイズやインフルエンザやサースなどが発生して、ある国、または地域的なパンデミックになったことがありますが、今回ほど全世界で一気に感染拡大し、死亡まで至るのは予想できないことでした。言葉通り新型コロナのパンデミックによって私たちはパニックに落ちいってしまいました。
初めごろはこの感染症に対して科学者や医者、また政府の役人たちなど誰も知識がなかったので、どのように対応すればよいかの基準があいまいになり、皆があわてふためいたことは確かでした。知らないので戸惑い、恐れ、怖くなるのは当然だと思います。今はマスクを着用したり、手を洗ったり、きちんとソーシャルディスタンスを守ったりしながら注意をしています。最近はワクチンの開発が進み、実際に接種し始めるようになったのです。まだ不安感が消えたとは言えないのですが何も知らない時と比べるとパニックではなく、皆が自分のいる場で規則を守りながらコロナウイルスと共に一般生活を過ごしています。人類は共に知恵を集めてこの危機を乗り越えようとしています。
今日の福音の主人公であるマリア様は十代の少女で男の人も知らない方です。ある日、いきなり天使が現れて「あなたは身ごもって男の子を産む」と伝えて来ると本当に困りました。ユダヤ社会の風習では乙女が身ごもると石で殺されるのです。「おめでとう、恵まれた方」というなら「ふざけるな!いいえ、結構です」と断るべきです。天使の挨拶は「喜びの挨拶」ではなく「呪いの言葉」です。
確かにマリア様は私たちが予想できるように「戸惑い…、恐れ」を感じました。でも次のマリア様の答えは意外なものでした。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と。このような答えができた理由は「知らない、不安な」ことでもそれを飛び越える神に対しての深い信仰心ではないかと思います。神様に出会った以後、戸惑い、恐れ、怖い時、いつも助けてくださった神様への希望、信愛、喜びなどが今回も同じく「お言葉どおりになりますように」と答えることができるようにしたのではないかと思います。
世の中はまだまだ知らないことばかりで、怖くて不安です。だからこそこの世に神様の地位を捨てて私たちと同じように人となるイエス様を喜んで待つことができるのです。今まで守って下さったのですから、これからも守って下さることを信じることができます。私たちが神様から離れないなら神様は必ず「インマヌエル」、その名前の意味通りに「我々と共におらえる」のです。皆さん戸惑い、恐れ、怖い時はマリア様が答えたように「私は主のはしためです。お言葉どおりに、この身に成りますように」と唱えてみたらいかがでしょう。
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