어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
「王であるキリスト」とは? 본문
「王であるキリスト」
今週イエズス会の管区長様が長崎修道院を訪問しました。私たちの修道会は「Visitaciòn」という管区長の公式的な訪問制度があってすべての会員は管区長と一年に一回「Manifacio conciencia良心顕現」をするようになっています。つまり上司である管区長に心を開いて自分のことについて話しをするのです。まるで教会の「ゆるしの秘跡」のようなものですが、異なる点は神様ではなく管区長の前でそのことをします。
また告白する内容も1)祈りや良心省察や黙想などの自分の霊的生活、2)今、働いている使徒職、3)共同体生活、4)個人の健康状態や修道会に願いたいことなどを話しします。つまり「ゆるしの秘跡」のように自分の上司を信頼して心を見せるのです。
もちろん私も上記の幾つかのカテゴリーに従って「良心顕現」を準備しました。管区長がいつ「visitacion」するか分かるので真剣に用意できるのです。また「visitacion」する間に管区長が長崎修道院に泊まるのでお客様の部屋もきれいに掃除しなければならないし、台所から出る食事もいつもと違って、もっと贅沢でおいしく見えるのは私の気のせいではないでしょう。共同体の皆も普通の静かな雰囲気より生き生きしているし、実際、にぎやかでした。
ただの管区長訪問ではないかと言われるかもしれませんが、管区長の訪問によって管区本部から遠く離れている共同体にもきちんと目を留めていることを示し、「私たちは放置され、忘れられてしまったんじゃないか」という寂しさにたいして、「そうではない」という答えになります。さらに管区長との面会で「慰められたり、癒されたり、理解していただいたり」するのです。まるで今日、私たちが祝っている「王であるキリスト」から私たちが慰められていることと同じです。
今日、福音を通して王であるイエス様が私たちにこう言われました。「お前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。私はお前たちが飢えているときに食べさせ、のどが渇いているときに飲ませ、旅をしているときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいるときに訪ねるから」と。
教会はもうすぐこのような王であるキリスト·メシアを待ち望みます。私たちを世に放置することなく、慰めて、癒して、分かって下さる方を待つ準備を始めます。私たちはその方がいついらっしゃるかを分かっています。だからこそ毎日、真剣に用意することができるのです。王であるキリストを待ち望みながら待降節を過ごしましょう。神様がもうご用意したことを楽しみにしましょう。それができるように神様のお恵みを願いましょう。
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