어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
たとえ話 본문
「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話になるのですか」
ある日、知り合いの信者さんが私にこのように質問して来ました。「Savio神父様、なぜ私は神様のお声を聞くことができないのですか」と。
私は彼女にすぐ答えました。「何々さん!神様のお声を聞くのはあなたにも簡単にできますよ。前に何々さんが聖書勉強会のだれだれさんと問題がありましたよね。それで私があなたに『お御堂のご聖体の前で少し時間を過ごしなさい』と言いましたよね。しばらく後に、あなたは、あなたの心の動きをこのように私に分かち合ってくださいました。『私が先に謝らなきゃ。でも自尊心が許さないから、私の方から先にはしたくないわ』と。でもあなたの心の中の声は、はっきりとあなたに『先に謝らなきゃ』と言いましたよね。私はそれこそが神様のお声だと思います。ですが、あなたはその神様のお声に従いたくないと意地を張ったんでしょう。」
私たちは毎日の生活の中で何か問題に遭った時、そのことについて神様の前でお祈りします。そうするとほんの五分ぐらいで何らかの神様のお声が聞こえるのです。けれど、そのお声が聞こえても私たちはそれに従わない、逆に知らん顔をするのです。自分には都合が悪い神様のお声を聞きたくないからです。「見えても見ず、聞こえても聞かず」と、イエス様がお話しした通りです。
今日の福音では大勢の人たちがイエス様に近寄っております。イエス様のお言葉を聞くためです。そのお言葉には力があって彼らをいやし、慰めてくださるからです。難しくて、理解できない教えではなく、誰でも理解でき、やさしいたとえ話だからです。その言葉を信じて従えば十分です。私たちがマリア様と同じように「はい、お言葉通りになりますように」と受け入れれば神様のお声が聞こえ、世の中でお言葉通りに実現されるのです。私たちがいつも聞きたい神様のお声を私たちが心を開いて受けることができますように神様にお願いいたしましょう。
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