어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
神様があなたを「知らない」といわれたら 본문
あなたが誰か「知らない」
西坂の二十六聖人記念修道院では四名のイエズス会のメンバーたちが住んでいます。皆さんがご存じのように長崎でトータル20年以上生活しているブラザーガルシアさん、二十六聖人記念館の館長であり、修道院の院長であるヴィタリ神父、いつも教会の宣教に興味を持っているルイス・泉神父、そしてその中で一番若手である私です。
たしかブラザーガルシアさんは91歳で一番のお年寄りであり、二番目のルイス泉神父が89歳。そしてヴィタリ神父が83歳です。
皆がお年寄りだから時々自分たちが「いつ、どのようにして死ぬか」を話題にして話します。その中で面白いのはルイス泉神父の死に方の意見です。
ルイス泉神父はいつも「私は道を歩きながら死にたいのです。」と言います。熱心な宣教師であるルイス泉神父は「道の上で人々にキリストの言葉を宣教しながら死にたいです」と。それがルイス泉神父自身の最後の夢だと言われました。
その話を聴いていたヴィタリ神父がいきなりルイス泉神父に突飛な質問をしました。「あのね!ルイス!あなたがいつか死んだ後、もし神様と神の国がなかったり、または神様があなたを『知らない』と言われたらあなたはどうするつもり?」
ルイス泉神父はこう答えました。「アハ!あなた、パスカルのかけをまだ知らないの?彼がこう言ったでしょう?『もし私が死んだ後、神様も神の国もないとしてもどんな問題があるのでしょうか?生きている間に神様を信じ、神の掟を守りながら誠実に生活して死んだとしても私の生きている間の人生が無駄なことになるのでしょうか?逆に神なんかいない、それで神の国もあり得ないと言いながら勝手なことばかりやってそのまま死んだ後、実際に神様が存在し、生きている間のすべての悪いことに対して審判を受けて地獄に落ちてしまうなら、それがもっとも損ではないでしょうか?それだから生きている間に神様を信じるのが本当に利益ではないですか」と。
ルイス泉神父はまたこう言います。「すべてのものには必ず神様の目的がある」と。私たちはこのことを信じているから神様に信仰告白をしたり、御子イエス様の背中を見て従っています。カトリックの信者にとって「神様が存在しない」とか「神の国はあり得ない」とかいう考え方は/全く信じられないことです。
今日の福音のように、一羽の雀にも目を留めてくださる神様、髪の毛の一本もないはげの方には申し訳ありませんが、その髪の毛一本でも神様の力によって与えられているし、はげさえきっと神様の何らかの計画があるものだと思っています。それだからイエス様は人々の前で私たちを「仲間」と呼ばれ、私たちも天の父の前でイエス様を「神の子」と言い表します。このような信仰によって私たちはイエス様を知っているし、イエス様も私たちを知っています。私たちが告白している信仰というのが人間自分自身の力によってのみではなく、神様の聖霊が私たちに注がれて神様を「私の神」と告白するのです。このぐらいが今の段階では十分ではないかなと思います。未来にはもっと強く信仰を告白することができますようにこれからも神様にお願いいたしましょう。
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