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어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기

忘れられない母の視線 본문

매일의 양식

忘れられない母の視線

해피제제 2014. 1. 28. 13:27

忘れられない母の視線

今日の福音ではイエスの()と兄弟姉妹がイエスを探しに来ます。家を出た息子がガリラヤ中を回り、諸会堂で教え、神の国の福音を宣べ伝えているという噂が気になったからではないでしょうか。イエスは、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやす不思議な業を行い、さらには「悔い改めよ。天の国は近づいた」と人々に言っているらしいのです。一方で、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」というような、サタンの力でサタンを追い出すという悪い噂までもあります。それらのうわさを聞いたマリアは息子イエスのことを直接確認するために、あるいはそのことが心配でイエスを見に、わざわざ会堂を()ねたように思います。ある人たちの言葉のように、息子イエスが汚れた霊に取りつかれておかしくなったのか、それとも誰にも言えないようなことが起きたのではないか。そのようなことがマリア様の心をよぎっていたかもしれません。

          今日の福音について話す前に私のことを少し話したいと思います。私の母は、私が子どもの頃に父と離婚しました。しかし、私はまだ子どもでしたので、あまり記憶にありません。そのせいで一度も母の顔を見た記憶がないため、顔も思い出すことができません。ただ、再婚して自分の人生を歩んでいるということ、あるいは、どこかで生きているということだけがわかっていました。しかし、私が大学を卒業し、銀行で働き始めた頃、いつからかはわかりませんが、ある時から誰かが私のことを見ていることを感じました。それは普通のお客さんの視線とは違いました。皆さんも分かるかもしれませんが、知らない誰かが私たちを見ている気持ちは何となく分かるのです。そのことについてはうまく言えないですが、はっきりとそのようなに感じていました。転勤した新しい支店でも同じ気持ちを何回も感じました。この時の体験は、母が亡くなった数年後に姉から聞いた話によって知ることになりました。母は、我慢できないくらい自分の子供に会いたかったため、私のおばあさんとの約束を破り何度も私の職場にきたようです。たとえ声をかけることができなくても、姿だけでもみるためにいつも外に立っていたということでした。

          今日の福音の母マリアの姿を見た時、ふっとこのようなことを思いました。それは、自分の息子と離れて、そとに立ったまま息子イエスの聖堂での教えを聞きながら、どんな感情をもっておられたのか。なんとなくその母マリアの気持ちが分かりました。母マリアの心配や不安、懐かしさや喜びなど、いろいろな気持ちが私にも伝わってきました。母マリアが見せてくださった母としての()()は、今神の国から私の道を見守ってくださっている私の母と同じ愛だと思います。だから毎日揺らされてもイエスの道に従って()むことができているように思います。死ぬまでこの道を()みながら、当時の母が私のそばまで来ないで、そとから見守ってくださっていたその愛を忘れないよう、祈りたいと思います。