어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
私が愛しているのをもしあなたが分かったら 본문
私が愛しているのをもしあなたが分かったら
いつか私が話したと思いますが、私が好きな日本語は娘さんが結婚の当日、家を出る前に、自分の両親にひざまずいて深くおじぎをしながら「長い間お世話になりありがとうございました。これから幸せになります。」という表現です。今までの育てくださった両親の愛に感謝しながらこれからの新しい生活でも幸せになるという覚悟を両親に表すということだと思います。なんとなくその言葉に含まれている両親と娘との親子の愛が分かるようです。
ところが最近もう一つの好きな表現ができました。まさに恋人同士の言葉です。愛する人が愛される人に向かって「こんな私でもよかったら」と相手の愛に応えるときそのように言う表現があります。二人の中にある愛や互いに関わっている信頼などを感じられます。さらに相手の「愛してる」という告白に対してこちらも相手より、つまり「私のほうがはるかに愛してるから」という深い愛が感じるぐらいの答えだと思います。自分のすべてのことを謙遜にして「乏しい私でもよかったら」という、逆にこちらから頼むようだからです。どれほど相手を愛するならそのように応えることができるのかという愛溢れる表現だと思います。
今日の福音を祈るとこんな風に印象を受けました。愛するイエスと愛される弟子たちとの話、ルミという神秘主義詩人は「愛している人は何もない、むしろ愛されている人がすべてのことだ」という表現通りに愛される相手のお陰で私の心に愛が訪ねて来たから私より相手が大事だということです。例えば、赤ちゃんは母の前で寝たり、食べたり、泣いたり、笑ったりします。それしか何もしないのです。でもそれだけでも母にとっては十分な幸せなのです。母親の愛は赤ちゃんのお陰で起こったのだから、愛される赤ちゃんこそ母としては大切な存在です。神様もイエスも同じだと思います。私たちに示して下さる愛は、私たちには足りないと思いますが、その愛は私たちの想像以上に大きいと思います。神様の愛には確かに及ばないと思いますが、愛されている私たちの存在それだけを考えるとこれから神様や隣の人などに対してその愛の大きさを育んでいったらどうでしょうか。私たちがイエス様の言葉通りに「私はあなたを愛してる。あなたが私のこの愛をわかるなら」という意味を深く理解すれば、きっとイエス様が感じている喜びで私たちも満たされると思います。
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