어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
「私はイエスです」 본문
私の修道会の同級生の神父さんが聞かせてくれた話です。
韓国の全州という町には、大浦天主堂のような歴史がながくて、美しい教会があります。そのため、全国各地からカトリック信者はもちろん信者ではない観光客も大勢訪れて来ます。
ある日、信者ではない例の神父さんの友人が全州へ観光に行き、教会の駐車場に入ろうとすると、教会管理の信者さんが「すみませんが、カトリック信者ですか?」と尋ねて来ました。「駐車場が狭くてごミサや教会関係の仕事以外には駐車が禁止です」と言いました。
神父さんの友人は「はい、私は信者です」と嘘をついて答えました。しかし管理の信者さんには、黒いめがねで派手な服を着ている目の前の人物の姿はあまりにも信者とは思われなかったようです。それでその人にもう一度質問をしました。「そうですか。それなら洗礼名はなんですか?」と。
質問をうけたその男性はちょっと困ったなぁという気持ちで、おずおずと「私はイエスです」と答えました。
管理人はすこし戸惑いました。なぜなら「イエス」という洗礼名を今まで一度も聞いたことがなかったのですが、すこしあやしいと思いながらも「イエス」という洗礼名は絶対あり得ないとは思えなかったからです。結局、まだ疑いの気持ちはすこし残っていたのですが、駐車の許可を与えるしか方法はありませんでした。
皆さんはどうですか?「イエス」という洗礼名を聞いたことがありませんか?私は「イマヌエル」という洗礼名は聞いたことはありますが、「イエス」はないのです。でもスペインにいた時には「ヘスス」というイエスのことで、この名前が普通に使われているのを見ました。
たしかに例の観光客は信者ではないのですが、友の中でカトリックの神父がいたから以前「洗礼名」や「イエス」など簡単な教会の単語ぐらいは覚えていたのかもしれません。ですが、私たちが「イエス」という名を洗礼名としては使わないことをよく分かっていなかったのでしょう。「イエス」という名前が持っている神聖さや重さなどを、カトリック信者なら分かっているからです。
それでもこれから洗礼を受ける方がどうしても「イエス」という洗礼名が欲しいと言われるなら、「イマヌエル」という名前を名づけてください。皆さんがご存じのように「イマヌエル」という名前は「イエス」という名前と同じだし、その意味も今日、昇天されるイエス様が言われた通りに「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」からです。
天に召されたイエス様は私たちにご約束をなさいました。「私の名前で求めることは必ず与える。私はいつもあなたと共にいる」と。私たちは今日の第一朗読から聞いたように、イエス様から使命をいただきました。イエス様の「証人となる」と。また私たちがイエス様のように天に召される時まで、その使命をこの世で果たすべきであり、その使命はイエス様に頼りながら一緒にすべきであること。これらの事を忘れずに今週も生き生きして笑っていきましょう。
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