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어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기

부제품 본문

세상에게 말걸기

부제품

해피제제 2015. 3. 18. 09:54

 

동경교구 코다 주교님의 주례로 이냐시오 성당의 마리아 경당에서 부제품이 있었습니다. 예수회 일본관구 소치우스 츠쿠리미치 신부님과 신학원 원장 아이달 신부님 그리고 예수회 한국관구의 소치우스 조인영 신부님과 서근철 신부님께서 함께 해 주셨습니다.

 

 

 

주교님의 안수예식 때 온 몸이 뜨겁게 타올라와 정신이 없었습니다. 온 몸에서 힘이 쭉 빠져나가는 것 같이 쓰러질 뻔한 것을 간신히 참아냈던 것에 아직도 가슴이 두근두근 거립니다. 성령의 힘일까요? 아니면 너무 긴장해서일까요. ^^

 

 

 

부제의 역할이란 전례의 식탁봉사와 말씀 선포랍니다. 하지만 주교님께서는 훈화의 말씀에서  '하느님을 위해, 교회를 위해 모든 일을 다하십시요'라며 '그것은 부제의 역할이(혹은 사제의) 아닙니다'라고 절대 거절하지 말라고 하시네요.

 

 

 

둘째, '복음의 기쁨을 모든 이에게 전하십시요'라 하셨습니다. 가톨릭 신자 뿐만 아니라 고통 중에 있는 위로를 필요로 하는 모든 이들에게, 심지어 하느님에 대해서 전혀 알지 못하는 어린아이들에게까지도 복음의 기쁨을 전하도록 힘쓰라 하십니다.

 

 

셋째, '예수님의 삶의 방식에 따라 사십시요'라 하십니다. 그 끝은 분명해 보입니다. 비록 그것이 십자가의 죽음이 될지라도 예수님께서 그렇게 사셨듯이 그분이 사셨던 방식 그대로 따라 살려고 노력하라 하십니다.

 

 

코다 주교님은 제의를 벗으시고 평복 차림으로 오셔서  당신의 스마트폰으로 사진을 찍으시며 그것을 당신 페이스북에 올려도 되냐며 친절하게 양해를 구하십니다. 훈화 말씀도 유머가 넘치는 귀에 쏙 쏙 들어오게 해 주시더니 또 이런 자상함도 갖추고 계시네요.

 

 

 

가족들이 신자가 아니라서 부제품에 따로 초대를 하지 않았습니다. 그래도 이렇게 예수회 한국관구에서 두 분의 신부님이 참석해 주셔서 마음 든든했습니다.

 

 

 

죠치대학 굴트하임 성당에서 한 달에 한 번 미사를 함께 드리고 있는 신자분들이 이렇게 많이 참석해 주셔서 가족들이 참석치 않은 자리를 메꾸어 주셨네요. 참 고마운 신자 분들입니다.

 

 

 

 

부제 서품식 전례를 몇 되지 않은 신학원 가족들이 훌륭하게 해 주셨습니다. 모두에게 감사를 드립니다.

 

 

유학중인 친구들이 깜짝 선물로 참석한 사람들을 놀라게 했습니다. 일본 분들은 '역시나 한국 신자들...'이라며 부러움 가득한 표정이었지요. 한국에서부터 플랭카드를 만들어 보내준 비아 자매와 동경대학 가톨릭 기도모임 유학생들에게 다시 한 번 감사를 드립니다. 

 

 今日の午前中は麹町教会マリア聖堂で助祭叙階式がありました。
叙階を受けたのは、イエズス会のドミニコ・サヴィオ金亨郁(キム・ヒョンウク)さん。
説教の原稿を載せておきます。

●イエズス会助祭叙階式の説教
 朗読箇所:使徒言行録6・1-7、マルコ10・35-45

 第一朗読・使徒言行録は教会の中で最初の助祭diakonosと言われるステファノやフィリポという7人が立てられた箇所です。この箇所によれば、7人の仕事は食卓の世話係。使徒たちがみことばの奉仕に専念できるように、教会の財産管理とか福祉部門をまかされた人たちのような印象があります。
 しかし、実際のステファノやフィリポの働きはそうではありませんでした。続く箇所にステファノとフィリポの活動が伝えられていますが、彼らはみことばへの奉仕において決して使徒たちに劣るものではありませんでした。ステファノは「知恵と霊によって語る」と言われていました。そして逮捕され最高法院に連れて行かれたときも、素晴らしく力強い説教をしました。ステファノの殉教の場面は特に印象的です。フィリポは使徒たちに先立ってサマリア地方に行き、そこの人々に福音を告げ知らせました。エチオピアの女王の高官であった宦官をイエスへの信仰に導きました。
 最初の助祭と言われるこの二人の姿を思い起こしながら、助祭の叙階を受けるキム・ヒョンウクさんに三つのことを特にお話ししたいと思います。

 一つは、「主のためなら何でもする」ということです。助祭は典礼の中で福音を朗読したり、主の食卓に仕え、信徒に聖体を授けたりという目立った働きをします。そういうことをすることが助祭の仕事だと思わないでください。あるとき、一つの仕事を頼まれた助祭が「その仕事は助祭の仕事じゃないからわたしはしません」と言いました。周りにいた人たちは深く失望しました。教会のため、人の救いのためなら何でもする。イエズス会の助祭の期間は短いと聞いています。キムさんも半年ぐらいで司祭になるのでしょうか。でも、司祭になっても同じです。主のためならなんでもする、教会のためなら何でもする、貧しい人、苦しんでいる人のためなら何でもする、そういう奉仕者になってください。

 二つ目に言いたいこと。何でもする、という心構えは大切ですが、「一番大切なことは、イエスの福音を伝えること」だということ。みことばに仕えること、福音告知の使命です。教会の使命の中心にあることは福音を告げ知らせること、神の愛を伝えることです。フランシスコ教皇の言葉を使えば、「福音の喜びを伝える」ことです。そのために「出かけていくこと」です。教会は、ときどき自分のうちに閉じこもろうとします。今の仕事が忙しくて、外に出ていくのは無理と感じることはありますね。フランシスコ教皇は、これは病気だと言います。閉じこもって病気になっているぐらいなら、出かけていって汚れたり、傷ついたりするおうがいい、と言います。とにかく福音を告げ知らせることが一番大切なわたしたちの使命です。誰に伝えるのでしょうか?すべての人に対してです。これが「新しい福音宣教」の大切なポイントです。洗礼を受けている人と受けていない人がいて、受けていない人に福音を告げることが福音宣教、それが昔の福音宣教のイメージでした。新しい福音宣教はすべての人に向けられています。
 子どもたちは福音を必要としています。親の愛に欠けている子どもも食べ物に飢えている子どもも大勢います。この子たちにわたしたちは神の愛を伝えなければなりません。青年たちは福音を必要としています。大人たちの作った社会の中で欲望をあおられ、競争に駆り立てられ、希望を奪われているような青年たちにこそ、人生に意味を与えるイエスとの出会いが必要です。貧しい人、移住者、病気の人は福音を待ち望んでいます。彼らに居場所が、仕事が、人間らしい生活が与えられなければなりません。神様がそのことに無関心なはずはありません。その神の愛を伝えなければなりません。高齢者も福音を必要としています。自分はもはや必要とされていない、だれからも顧みられない、そう感じている人々に、神様の愛と導きに気づくような福音告知が必要なのです。その意味で、本当に最初の助祭と言われるステファノとフィリポの福音告知への熱意は模範になります。

 三番目にお話ししたいこと、それは「イエスの生き方に近づいていくこと」です。何よりもステファノの殉教の姿がそのことをはっきりと示しています。
 「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。」(使7・59、60)
 十字架上のイエスの姿と言葉を思い出させます。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23・34、46)ステファノはイエスと同じ愛を生き抜き、イエスと同じ信頼を貫きました。これがわたしたちの究極の目標です。イエスの姿に近づいていくこと。
 福音の箇所はまさにそのことを語っています。
 「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
 このイエスの生き方に近づくこと。キムさんは助祭になり、司祭になり、もしかしたら運悪く司教になるかもしれない。イエズス会士ですから、先生になったり、大学教授になったりと、社会的な地位を与えられるかもしれない。
 でもイエスの弟子としてのわたしたちの究極の目標は、イエスの生き方に近づいていくこと、それしかない、そのことを決して忘れずにいてください。
 キムさんが教会の奉仕職を誠実に生きることをとおして、イエスの生き方に近づいていけますよう、心から祈りながら、助祭叙階式を行いたいと思います。