어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
「相手がイエス様だ」 본문
修道会に入るためには入会前やく一年ほど志願期が必要です。志願者達が、一生奉献生活を願う修道会と修道生活について勉強しながら、心の準備もする期間です。イエス様が弟子達を呼びかけるとき『ここに来てみなさい』(ヨハネ1、39)と言われたようなものと同じです。
奉献生活を目指す志願者達は、だいたい幼児洗礼を受け、素直な信仰心も持っており、性格も良い人が多いです。毎週の土曜日に集まっていろいろな講義を聞いたり、分かち合いをしたり、御ミサにも参加するのです。このようにほぼ一年間一緒にいると、みな家族みたいになって早く修道生活に入りたくなります。真の兄弟、まるで天使のような友に見えるのです。
いよいよ志願の期間が過ぎ、やっと管区長様の許可が出て夢のようなイエズス会の修練院に入りました。ですが私の夢が間違えだったと気がついたのは入会してたった一か月もかからなかったのです。なぜなら天使のように見えた兄弟達が実際には修道生活を求めている人だとは見えなかったからです。志願者としてたまにあった彼らと、一緒に住み始めた修練者の彼らは、完全に違ったからです。まるで新婚生活が終わって実際に側で毎日会う夫婦と同じように、私の天使たちも普通の人間の弱さを見せてしまったからです。その時の私は修道士になる人に神様のような完璧な存在を期待したかもしれません。それで穴がたくさん見える兄弟に、逆に厳しくしたかもしれません。
そのように試行錯誤ばかりをする私を見た修練長がある日、今日の福音の箇所を引用して私に言いました。「なぜイエス様がイエス様の名によって『あなた』又は『一人』ではなく『二人または三人が集まるところに』イエス様がその中にいるといわれたかわかりますか。それは『私』、『あなた』がイエス様ではないことを教えたかったと思います。たしかに自分自身がイエス様ではないことはみんな分かりますよね。逆に私以外の『二人、三人の中』だから、すなわち『あいて』がイエス様ではないのですか?その教えを忘れないでください。『相手をイエス様が見た目で見る』ではなく『相手がイエス様だ』と考えて下さい。そうすると少し余裕を持つことができるでしょう」と。
皆さん!いかがですか?皆さんの周りにも相手にしたくない人や気にいらない人がいますか?それだったら「相手がイエス様だ」と考えて下さい。少し今日の福音の箇所がご理解できるかも知れません。まだまだできないなら「二人または三人の中にイエス様がいる」と言う箇所を繰り返して唱えて下さい。いつか「あいて」がイエス様のように見えるまでです。これができるように神様にお願いいたしましょう。これも私達の力ではできないことだから。
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