어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
「鈴木聖書」または「佐藤聖書」、自分自身のみの聖書 본문
「鈴木聖書」または「佐藤聖書」、自分自身のみの聖書
皆さんに一つご質問があります。もしイエス様が皆さんに「あなた!私のことを何者だと思っているのですか?」と尋ねられたら、「何者」だと答えられますか。自分自身のみの答えを探してみて下さい。
今日の福音ではイエス様が三年以上付き合ってきた弟子たちに「あなたたち!私を何者だと思いますか?」とお聞きしました。それで弟子たち自分自身がいままで経験してきたイエス様のことについて自分なりに答えました。例えば、ヤコボは洗礼者ヨハネが大好きですからイエス様を「洗礼者ヨハネ」のような人物だと言いましたし、イエスに愛される弟子ヨハネは、イエス様を見てユダヤ人から尊敬されている旧約の預言者「エリヤ」を思い起こしました。同じように預言者エレミヤを気に入るマタイは「エレミヤだ」と言い、また自分の目で見ないとあまり信じないトマスはイエス様のことを「預言者の一人」だと言いました。弟子たちは「人々の答え」として言いましたが実は自分自身が持っていたイエス様に対しての考えだと私は思います。
たしかこのような例が聖書にはたくさんあります。一つの例は「五つのパンと二匹の魚」の話しです。この箇所は四つの福音書記者、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネがみんな証言しています。ですが面白いことはみんなが同じ場で、同じ経験をしたのに「五つのパンと二匹の魚の種類」や「食べた人の人数」、または「残った食べ物の量」などが違います。食べたものが「パン」か「おもち」か、食べた人が「五千人」か「四千人」か、残ったものが「十二箱」か「多い物」かなど自分が興味を持っていることによってすこし内容の違いがあります。それで私は、聖書は神様の聖霊の働きにより書かれた物ですが、書いた記者、弟子たちが経験したイエス様との関係によって少し違うところがあると思います。言い換えてみると「個人の日記」だと言いたいのです。イエス様との三年半年ほどの共同生活、そのうえ弟子たちの個人経験を自分の言葉で書いた日記ということです。
それで私は皆さんに一つお願いがあります。皆さんも皆さんなりの「マタイ日記、マルコ.ルカ.ヨハネ日記」を書いて下さい。今まで皆さんが読んだ福音書、司祭から聴いた説教、祈り、すべての講話、聖書研究などを自分の言葉にして自分の聖書、「クズシマ聖書、サビオ.ミヤタ.タナカ聖書」などを書いて下さい。神様の力や聖霊の働き、または教会の伝統や教えに従って書けばきっと立派な個人の聖書が書くことができるでしょう。そうすればイエス様のご質問、「私は何者だと思う?」にたいしてペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたようにいつか自分の口で答えられるでしょう。これができるように神様にお願いいたしましょう。
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