어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
Corona19は「神様の計画」??? 본문
神様の「計画」、「許したもの」は「存在するようにしたもの」
皆さんもご存じだと思いますが、最近ますます猛威をふるっているコロナウイルスは最初は中国から始まって韓国、イタリア、スペイン、フランス、ドイツなとにまたたく間に広がっていました。いまは少しおちついているようにみえますが、まだ感染者が出ています。ですから、西坂26聖人修道院で住んでいるイタリア、スペインそして韓国から来ている私たちの話題は時々自分の国のコロナの状況がどうなっているかになります。
あるとき、修道院の年配の神父さんが「コロナウイルスはある意味で神様の計画ではないかと思う」と言いました。加えて「神なんかいらないという人間の高慢に対して、神様なりに許したもの」だと言いました。その言い方に対してあるブラザーは「そのように言うのなら『戦争やテロ』なども神様の許したものですか」とすぐに反論しました。
結果としては「それはそうじゃないけれど」と年配の神父は「神様の許したもの」から一歩ゆずったのですが、神様の力とは完全に関係がないと言えなさそうに見受けられました。
たしかに暑い夏になると現れる私たちを困らせる蚊は、べつにいらないものとして見えるのですが、神様はそのものがこの世に存在することを「許して」くださいました。その意味で「戦争やテロ」などは「存在すること」を「許したもの」ですが、それらを積極的にするように「許したもの」ではありません。逆に神様は「世の中の平和や隣人愛」などを明確に選択するように掟を定めてくださいました。「存在しても」それが神様の望むものではないから自由意志をもって選択しない、その意味での「許したもの」です。ですから「戦争やテロ」などは神様が世の中に「許したもの」ですが、私たちはそれらをわざと選択しないのです。人間の欲望が「戦争やテロ」などを選ぶのです。神様が「許したもの」は「存在するようにしたもの」と理解すればいいと思います。それを人間が勝手に使って自分自身の欲望のために選ぶのに神様に責めを負わせるのは本当に卑怯なのではないかと思います。
今日の福音、「湖の上を歩いているイエス様とペトロの沈む信仰」は有名な聖書の個所です。いろいろな説明方法がありますが、自分勝手にイエス様に湖の上を歩くように頼み、また自分勝手に沈んでしまう弱い信仰を見せるのはペトロ自分自身です。強く信じて湖の上が歩けるようになり、また弱い信仰になって沈んでしまう。すべてが自分自身の選択の結果です。初めのようにイエス様の命令を従えばいいのに、イエス様から目を離して沈んでしまう。それは我々が頻繁に選んでしまう結果でもあります。「戦争」か「平和」か、「神様」か「悪魔」か。両方のどちらかに意志を込めて「許すもの」かは、毎日に神様の掟を従っている私たちの選択しだいです。どうか我らの弱い信仰が強くなりますようにと神様にお願いいたしましょう。
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