어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
イエス・キリストの四旬と復活について 본문
イエス・キリストの四旬と復活について
今年の聖週間の三日間から今日まで本当のイエスの復活の意味について向き合っています。今までイエス・キリストの復活に関して率直に言えばあいまいでした。復活はただの信仰の分野、それ以外の意味は私の領域ではなく神様に頼るべきことだと思っていました。それが何日か前の悲しい事故によってイエスの母マリアや弟子たちの気持ちが少しわかるようになりました。
これはあるきれいな春の日、新しい学年が始まった時、修学旅行に行った高校2年8組の話です。船が沈没し始めたとき緊急な状況である生徒達は友に自分の救命胴衣を譲り、自分の生徒たちを救うために最後まで現場に残った先生も含めて2年8組38人の中で3人の生徒だけが助かりました。その学校の2年生の生徒は325名、その中で75名しか救助されなかったのです。自分の救命胴衣を譲ったさわやかな生徒のJung君や生徒たちの友のような優しい先生方も救助されなかったのです。これがダンワン高等学校の悲しい話です。
事故が起こった16日の朝9時10分前から2週間が過ぎました。韓国からのニュースを毎日確認しています。初めは早く助かるように希望を持って祈りました。さらに現場に集まった家族の姿を見て神様が何かの奇跡を与えて下さるようにと心を込めて祈願しました。しかし最初に持っていた希望はどんどん消えていって今は絶望の気持ちだけになりました。泣いている家族の姿やすべてのことが止まってしまっている韓国の悲しさをみて私もその人たちと同じ気持ちになってしまい絶望感だけが増してくるのです。なぜこんなことが起こったのか、どうして政府は責任を持ってそのことを解決できないのかという絶望感です。今、多くの韓国の人々がこのように感じているのです。
その事故を通して私はいくつかの感情を持ちました。被害者の気持ちも同じだと思います。悲しさ、怒り、憐み、絶望、希望など時間が過ぎれば過ぎるほど、いろいろな気持ちを感じました。その感情の中にはイエスの母マリアの気持ちや様々な行動を見せた弟子たちの感情も含まれています。四旬節から復活にかけて、また教会の普通の年中に向って今回の事故からわかったことについて深く考えていきたいと思います。
子供を奪われてしまったマリア、その息子のひどい死を見なければならなかった彼女の悲しさ、そしてある静かな朝愛している息子が復活して目の前現れた時の嬉しさなどをこの度の沈没の事故を通して子供を待っている家族のそばにいたように少し感じることができました。今も希望を持って待っている家族の希望心を思いながら、海の中にいる生徒や失踪者たちの為に神様の助けを求めたいです。
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