어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기
미안! 내가 잘못했어, 그러니 가르쳐 주지 않을래 본문
申し訳ありません。私は誤っています。教えてくれませんか
いつか夢を見たことがあります。身体の不自由な学生がひっくり返ってしまって休む場所を探していたのです。そして、近くにあるベンチに近付いて、すでに席を占めていた人に席を譲ってくれることをお願いしたのです。すると、若い青年が急に立ち上がり、「申し訳ありません。私そこまで気づかなかったのです。こちらにおかけになってなさい」と言って席を譲ってくれたのです。二人が座っていたのですが、一人は全然興味がない顔するのに、席を譲った人は重ねて自分の過ちを許してくれと言ってごめんなさいする姿が印象深かったのです。
目を覚まして、その鮮やかなシーンにしばらくとどまりました。それとともに、同時にいくつかの心にわき上がってくるものがあったのです。理由は分からないが席を譲ってくれた青年と、他の一人の青年の姿が鮮明でした。それとともに、身体の不自由な人を見て無表情に自分の席を守って座っている青年の姿は、なぜか慣れているようだったのです。同時に、最近の自分の姿がこのように無表情ではないかという気がしたのです。逆に、体の不自由な人を見て急いで席を譲りながらも自分の過ちのせいにする、その青年の姿は、過去の自分の姿ではないかという気がしたのです。多くのことを知らなかった若い頃は、新しいこと一つも知ることを望んでいて、自分の恥ずかしい姿に急いで誤りを認め、「申し訳ありません。私は誤っています。私がよく分からないから教えてください。」と知ることを請うこともよくしました。ところが、歳がどんどん上がって、そのように世の中に慣れて来て、いつの間にか私は教えを受けた人から誰かを教える立場になったので、誤りに対して過ちを認めないようになり、さらに誰かに間違っていると指摘を受けることに不安を感じることになったのです。
そうしたら夢の中に現れた他の一人の青年のように、体が不自由な人を見てもお早めに起きて席を譲るのではなく、誰かの痛みを無表情に眺める人に私はなっているのではないかという気がしたのです。そのためか、「すみません。私は誤っています。私がよく分からないから教えてください」と言った青年の姿は夢でしたが、その姿が私には気持ちが良かったのかもしれません。
人を判断してはならないということは、生きて来て早めに気付いていて、他人のきずを見るより自分の目にあるまるたを見てみしようとしています。しかし、時には意識しないまま私の唇に他人の人生を上げておいて判断する場合があまりにも多いです。しばらくその熱を上げるが、誰かが相槌を打ってくるのを見て、私は今何をしているかどうか、やっと気づいたのだから、またそのように罪を犯していたんだと思います。そのたびに、その日の夢のように「すみません。私は誤っています。私がよく分からないから教えてください」と、どうしていいかわからないし、恥ずかしいよう急いで誤りを認めてきた若い青年が目に浮かびます。そしてこれからはもっと、より頻繁に教える立場になることは私たちにとって明らかだから、その時に、この青年の姿を忘れないで、「すみません。私は間違っています。私がよく分からないから教えてください」と素直に助けを求めることができるように、心にきざんでおこうと思います。
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