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어느 가톨릭 수도자의 좌충우돌 세상사는 이야기

「王であるキリスト」 今週イエズス会の管区長様が長崎修道院を訪問しました。私たちの修道会は「Visitaciòn」という管区長の公式的な訪問制度があってすべての会員は管区長と一年に一回「Manifacio conciencia良心顕現」をするようになっています。つまり上司である管区長に心を開いて自分のことについて話しをするのです。まるで教会の「ゆるしの秘跡」のようなものですが、異なる点は神様ではなく管区長の前でそのことをします。 また告白する内容も1)祈りや良心省察や黙想などの自分の霊的生活、2)今、働いている使徒職、3)共同体生活、4)個人の健康状態や修道会に願いたいことなどを話しします。つまり「ゆるしの秘跡」のように自分の上司を信頼して心を見せるのです。 もちろん私も上記の幾つかのカテゴリーに従って「良心顕現」を準備しました。管区長がいつ「visitacion」するか分かるので真剣..

今月九日、長崎教区で13年間、巡礼者たちの世話をしたシスタージュリエットが、韓国に帰りました。コロナウイルスや日韓歴史·経済問題などの影響で今まで世話をした巡礼者たちが約一年間、長崎に来なくなって、仕事がなくなり、収入(しゅうにゅう)もなくて生活ができなくなってしまい、結局、韓国に帰国することに決めたと伝えて来ました。 いつか日本に戻る日まで十字架山にある修道院の管理や、シスターたちが使ってきた車などを誰かに預けるように決めなければならなくなりました。それで修道院はfocolareの会員に頼みましたが、車は4-5人の希望者が出てきて少し競争が熱くなったらしいです。結局、シスタージュリエットは26聖人修道院のことを思い出してくださいました。我たちの修道院には車がなく、私以外は皆お年寄りの会員なので病院や外に出かけるときに車が必要だと考えて、運転ができる私に預けておくことにしたのです。もち..

スペインから日本に帰る前にサンティアゴ・コンポステーラまで巡礼を行いました。聖ヤコブの墓地があるサンティアゴに向けて色々なルートがありますが、弱3週間で425㎞の距離がある「ルート、プリミティブ」を選びました。他の区間より山々が開かれていて木や森などが美しいと言われたからです。 巡礼に出て十日ぐらい過ぎて巡礼者たちの家に泊まるときの話しです。 色々な国から来た巡礼者の中でニキという人が私に声をかけてきました。「私は今うまく巡礼をやっているか少し迷っています。どうして私がこの路を歩いているかを自問しています。毎日不安な気持ちで今日はどこまで歩くか、何を食べるか、どこに泊まるか、どんな道を選ぶか、巡礼者たちにどのように声をかけてよいかなどに迷っています。自分のことをすこし変化したいという気持ちで来たのに何も変わらず、すべてのことが心配で早く国に戻りたいのです。」と。 私は信者であるニキさん..

イエスの意地悪 今日の説教を始まる前、OOさんに一つお願いがありますが、よろしいですか?もし千円札あるいは五千円札を一枚貸してくださいませんか? この1000円札にはだれの肖像と銘ですか? 今日の福音を祈った時、ひとつ突飛な質問が浮かびました。イエス様がたとえ話をするためにファリサイ派の弟子から借りた「デナリオン銀貨」を、彼にきちんとお返ししたかどうかということでした。ファリサイ派の人々がイエス様を試そうと悪意を持って「ローマ皇帝のものです」と答えたから/イエス様も「そうですか。それならあなたのものではないから私がいつかローマ皇帝に正しくお返しします」と意地悪をしたのではないかと勝手に思いました。 ファリサイ派の人がイエス様に「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」という質問は、私にとっては「皇帝の法律、すなわち国の法律と神様の掟が追突する時、どち..

神様と自動販売機の差 長崎での暮らしになって良いことが色々ありますが、私にとって特に良いのはあちこちに巡礼が出来ることです。本で読んだことをその場に行って自分の目で確認をできるのが最もの楽しみです。 私は巡礼に行く時に、気を遣わないために重いパックを持って行きません。杖も、二枚の下着も、食べ物も飲み物も持ちません。ある人は「まさか本当に水も持って行かないのですか?」と聞くかもしれませんが、日本のどこにでもある自動販売機のことを信じているなら余計な心配だと思います。 私が日本の風景で驚いたことの一つは自動販売機のことです。市内はもちろん平戸口駅から生月までの畑ばかりの田舎でも、ちょっとだけ歩くとすぐに自動販売機が見えます。わずかのコインだけでいつでも水などを入手できます。百円玉を入れるとその分のものが自動販売機から出ます。そのような理由で私は重いパックを持って行かないのです。 五時間ぐら..

나가사키 역에서 버스를 타고 시의 최남단 카바시마로 향했다. 오늘의 걷기 코스는 카바시마에서 후카보리 마을까지 약 25킬로미터. 바닷가를 낀 국도길과 그 바다가 내려다 보이는 산길이 대부분이다. 카바시마도 다리가 놓여져 그쪽을 종점으로 하루에 버스가 많다. 작은 어촌 마을인데 작은 고깃배 어르신들이 그늘에 앉아 그물을 손질하는 모습이 반가워서 '오하요우'라며 큰 소리로 낯선 이의 인사를 건넨다. 그분도 웃음으로 반겨 주신다. 2차선 국도를 따라 한 참을 걷바 보니 한창 건설 중인 '군함도 자료관'이 보인다. 아직 정비되지 않은 포장길과 자료관 주변에 세계문화유산으로 지정된 '군함도'를 한창 포장(?) 중이다. 한국의 징용노동자들의 고통과 어려움에 대한 정확한 설명을 조건으로 군함도가 유네스코 세계문화유산..

수경교회水鏡教会라고 불리는 나카노우라성당 오오소성당(大曽教会), 1916년 테츠카와 요스케 건축가에 지어진 성당 아오사가와라 성당(青砂ヶ浦天主堂)에서 기도 중인 수녀님과 신자들 아오사가와라 성당(青砂ヶ浦天主堂) 내부의 스테인드글라스 도이노우라성당(土井の浦教会) 멀리 보이는 바닷가를 내려 다 보고 있는 키리성당(桐教会), 키리성당에서 바라 본 바닷가 전경

ある神父さんが「私達の体の部分で一番中心になるところは、どこだと思いますか?」と聞きました。ある人は「心、心臓」、ある人は「魂」、またある人は「頭の脳」だと言いました。それぞれの答えを聞いた神父さんは「皆さんが答えたようにすべてが体の中心になるかも知れません。ですが私は体の中心は私達の一番『弱いところ』だと思います。」 「例えば、私達の指がとげに刺さると、とげを抜く前までは何も出来ません。仕事に夢中になれないし、食べるときも、寝るときも、とげの痛みが気になって何も出来ません。その時、私達の体の中心は『一番弱いところであるとげが刺さった指』です。」 神父さんは続けて言いました。「それと同じように、私達の家庭の中心はどこ、だれですか?それも一番弱い人である赤ちゃんや体の不自由な兄弟、あるいは煩っている家族だと思います。家族みんなが助け、支えないと彼らは生きることが出来ません。同じように私達..